|
バスは数時間に一本の町に生まれました。生まれた頃から母の人間性が嫌いでした。家族の人間性と人生を悲観し、幼稚園時代にプールで入水自殺未遂。それが失敗に終わると家出に向けて市街地までの道のりを必死で覚えました。「子供の足なら明け方には市街に出るだろう。小さい子だからどこか施設に入れてもらえるだろう」と考えていました。
私にどれだけ愛情を注いでいるかの「母親度テスト」を内緒で実行、ことごとく最悪の結果に終わりました。家族には愛は求めなかったものの、肉体を持った幼児なので愛情はやはり欲しくて葛藤しました。つらくなると「赤とんぼ」のオルゴールが内蔵されたウサギの人形を抱えて布団にもぐり込み、赤とんぼが流れている間だけ声を殺して泣きました。 母からは毎朝ビンタをされました。「生意気だ!」と毛布を被せて押さえつけられ酸欠になって病院に行きました。母は感情の起伏が激しく、自分の利益しか考えず、会話になりませんでした。両親の夫婦仲も悪く、父は夫婦喧嘩の際に包丁を持ち出すような人でした。
そんなこんなでかなり無感動・無表情な、本心を見せない性格でした。小6の卒業前の写真撮影時、何年ぶりかに笑顔を作ったら顔が「バキッ」と鳴ったのを覚えています。表向きはイイ子でしたのでクラス委員や部長をつとめ、高校は進学校でした。現代科学では説明のつかない体験をよくしていたので、(わくわく観察日記を見て下さいね)見えない世界の事は当たり前にあると考えていました。
絵や歌に興味を持ち、22歳の時に歌の勉強がしたいと上京しました。ボイストレーニングには数年後に一年半通いました。電話業務と歌の勉強とで、話す時や精神統一する時の呼吸法が身につきました。
かなり多額のカード被害に遭いました。警察署にて防犯カメラ画像で犯人の顔を確認しました。 元彼氏でした。元彼の防犯カメラ画像を見た人はいますか?レインボー色なんですよ!結局お金は1円も戻ってきませんでした。怒りの感情は全く起きませんでした。
30歳の時、二度目の不倫で鬱病になりました。
「アイツを殺して私も死ぬ!」位の所まで思いつめました。胃潰瘍で穴が開き仕事も辞め、だんだん精神的にもろくなり、泣きながら医療相談に電話をし、初めて心療内科を受診しました。薬で性格がコントロールされているのに気付かず片っ端から喧嘩して友人を失ったり、好きでもない人に片っ端から告白して翌日なんとも思わなかったり、弊害が出ました。寝たきりになり、実家からは「もう東京から引き上げろ」と言われ、しかしあの実家に帰ると悪化するのは分かっていたので余計に精神的に追い詰められました。
今日死のう、と思った日、死に場所に決めていた場所までの交通費がなく歩く体力も残っておらず、『自ら命を絶つ事さえ満足に出来ないのか』と情けなくなりました。
仕事にも就けず、体重も 12s減少して衰弱し尽くした時、寝たきりの布団の中で
【愛】 【学びは全て終わった】 【所帯を持ちたい】
という言葉が自然と湧き上がりました。(のちの過去世体験での魂の気付きと全く同じでした。)学ぶカリキュラムが終了していなかった為に二度目で学び尽くす必要があったのだな、と納得しました。もうカリキュラムは修了しました。「抜けた!」という言葉がぴったりの体験でした。
医者から処方されていた精神安定剤は自己判断でピタッと止めました。身体的な断薬症状(耳鳴り)はありましたが、心は晴れ晴れとしていました。(※これは私自身の体験で、医療を否定するものではありません。また精神安定剤を自己判断で急に止めると、思わぬ状態を引き起こす事があります。)
身長が小さいのでパッとしませんでしたが、S●の女王様を一年ほどやりました。憧れの職業でしたし、OLをやるほどの体力がまだなかったというのも理由の一つです。途中からOLと兼業の時もありました。
よく同僚女王様とも話したものですが、S●は「高尚」であり、女王様は「カウンセラー的存在」「包容力がないとできない」というのが入ってみた感想です。お客様は皆、礼儀正しくて頭が良くて、自分ではコントロール出来ないトラウマを抱えていて・・・。「この方達のように、自分の努力が及ばない所で悩んでいる人達が救われる方法はないものだろうか。1ヶ月に
1〜2回、時間やお金と引き換えに自己を開放しに来ても、また自分を隠して世の中に紛れるしかないのか」と、悶々と考えていました。
元々偏見はあまり持っていない方でしたが、世間の基準では変な目で見られる方達と触れ合う事が出来て本当に勉強になりました。少数派とされる方も、「普通」と呼ばれている多数派の方となんら変わらない、素晴らしい方ばかりでした。そもそもみんな個々に違うのが当たり前、多数派という意味での「普通」なんて、なんら意味を成さないと思います。
|